| 時代祭 行列A | |||
| ■安土桃山時代 豊公参朝列 豊臣公参朝のうち、慶長元年(1596)5月の秀頼公初参内の模様をあらわした行列です。 乗物は牛車(ぎっしゃ)で、装具は最高の様式のものです。牽馬(ひきうま)には、豊公時代の遺宝である高蒔絵の鞍を再現、前後に従う大名の一部を現わしています。服装は特別のもので、袴をつけ太刀も武家風です。 また牛童、牛飼などは公家風ですが、徒歩の者は当時の武家風の特徴を現わしています。 |
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| ■織田公浄楽列 応仁の乱の後、永禄11年(1568)9月に織田信長は兵をひきいて上洛しています。行列はそのときの様子を表したものです。信長のほか、重臣の羽柴秀吉や柴田勝家なども登場します。 この時代は、戦に鉄砲が導入されています。甲冑(かっちゅう)の多くは胴丸で、各部に鉄板を使った、いわゆる当世具足(とうせいぐそく)の新形式で、江戸時代にかけて用いられたものです。 |
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![]() 織田信長 羽柴秀吉 |
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| ■室町時代 室町幕府執政列 足利将軍を中心とした当時の武士の武装姿を表している。伊勢氏、細川氏、山名氏、二階堂氏などお供の武将の姿も見られます。 |
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![]() 足利将軍 細川氏 |
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| ■室町洛中風俗列 十六世紀、室町時代後半に経済力を蓄積した京の町衆によって盛んに催された風流踊などを再現。 |
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| ■吉野時代 楠公上洛列 元弘3年(1333)、隠岐より還幸される後醍醐天皇の上洛を導いた楠正成の行列。 |
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| ■中世婦人列 大原女(おはらめ) 洛北大原から薪・炭等を頭にのせ、京の町へ売りに出る女性の姿。 淀 君(よどぎみ) 太閤秀吉の側室で浅井長政の娘。豊公の寵愛をあつめ、秀頼公の生母でもあります。 藤原為家の室(ふじわらためいえのしつ) 藤原為家の室(阿仏尼)は『十六夜日記』の著者、子の領地争いのため鎌倉に東下りした時の旅姿です。 静 御前(しずかごぜん) 源義経に愛された白拍子、後に義経が謀反人として兄頼朝に追われ奥州に落ちた後、捕えられて鎌倉に送られました。 |
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![]() 淀君 静御前 |
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| ■鎌倉時代 城南流鏑馬列 藤原時代 参朝列 流鏑馬(やぶさめ)は平安朝以来行われた騎射の技。平安時代中期、藤原氏文武両様の姿 |
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| ■平安時代 婦人列 巴御前(ともえごぜん) 木曾義仲の寵愛をうけ、義仲が没した後は尼になりました。 横笛(よこぶえ) 建礼門院の雑司で、滝口時頼と恋におち、嵯峨に彼を尋ねて行った時の姿です。 常磐御前(ときわごぜん) 源義朝の夫人で、義朝亡くなった後、三児(牛若・乙若・今若)を連れて六波羅へ母子の赦免を願い出に向かう 時の姿を再現したものです。 |
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![]() 巴御前 常磐御前 |
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| 紫式部と清少納言(むらさきしきぶとせいしょうなごん) 紫式部は『源氏物語』の著者。清少納言は『枕草子』の著者。 紀貫之の女(きのつらゆきのむすめ) 貫之は延喜時代の名歌人。手に梅の小枝を持っています。 小野小町(おののこまち) 平安時代前期の女流歌人で、六歌仙・三十六歌仙の一人。絶世の美女といわれています。 和気広虫(わけのひろむし) 和気清麻呂の姉、慈悲心が深く孤児の養育に尽くしました。 百済王明信(くだらおうみょうしん) 藤原継縄の妻で、百済王敬福の孫。平安京造営を蔭から支えたといわれています。 |
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![]() 紫式部 小野小町 |
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| ■延暦時代 武官行進列 文官参朝列 | |||
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| ■神饌講社列 神幸列 御賢木(おんさかき)を先頭に、ご鳳輦(ごほうれん・ご祭神の乗る御輿)を中心とした神幸の本列です。各行列はこのご神幸のお供をして行進するわけで、全行列の中で本体の祭儀としての意義を持つ列です。 |
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