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京の祭

 葵祭の始まり
 葵祭は、下鴨神社(賀茂御祖神社)と上賀茂神社(賀茂別雷神社)の例祭で、古くは賀茂祭、または北の祭りとも言われ、平安時代以来、国家的な行事として行われてきました。賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、御所車、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、全てを葵の葉で飾ったからであると伝えられています。祭儀は、宮中の儀、路頭の儀、社頭の儀の三つからなっていますが、現在宮中の儀は省かれ、路頭の儀と社頭の儀がおこなわれています。

 祭の起源は、今から約1400年前の欽明天皇(540 〜571年)の時代、国内は凶作にみまわれ五穀が実らなかったので、占わせたところ賀茂の神々の祟りであるというので、祭礼を盛大に行わったのが葵祭(賀茂祭)の起こりであると『賀茂縁起』に記されています。
 その後、819年(弘仁10)には、朝廷の律令制度として最も重要な祭祀として行うという、国家的行事になりました。
しかし、室町時代中期頃から次第に衰微し、ついに応仁の大乱以降は全く廃絶致しました。その後200余年を経て江戸時代に至り東山天皇の元禄7年(1694)に復興、明治3年(1870)まで執行されました。
 その後暫く中絶され、明治17年(1884)明治天皇の旧儀復興の仰せにより春日大社の春日祭・石清水八幡宮の石清水祭と共に所謂日本三勅祭の一として厳粛に祭儀が執行されることとなりました。祭日も古来4月吉日とされていましたが、明治維新以後新暦の5月15日と改められ現在に及んでいます。
 上賀茂神社
下鴨神社
葵祭の前儀
 ■流鏑馬神事 
 ●5月3日 午後1時〜午後3時30分:下鴨神社 
 流鏑馬は葵祭の道中をはらい清める神事として7世紀頃には行われていたとの記録があります。明治時代に一時中断しましたが、昭和48年(1973)年に復活された神事です。下鴨神社の境内・糺の森の馬場では、狩装束姿の騎手が馬を走らせながら騎手が矢で的を射ぬく妙技を披露します。
 
 ■斎王代・女人列御禊神事(にょにんれつみそぎしんじ)
 ●5月4日 午前10時〜上賀茂神社 

 葵祭の斎王代以下、女人列に参加する40人の女性が身を清める神事。斎王とは平安朝時代には未婚の内親王が選ばれていましたが、現在は、京都在住の一般市民から選ばれた女性が務めます。
 十二単を着て境内の御手洗(みたらし)池で水に手を浸して身を清める御禊を行います。毎年、上賀茂神社(京都市北区)と下鴨神社(左京区)の交代で行われ、2010年は上賀茂神社で行われました。
■歩射神事(ぶしゃしんじ)
 ●5月5日 午前11時〜下鴨神社

 弓矢を使って葵祭の沿道を清める魔よけの神事。
歩射神事は、3日に同神社で行われる馬上の流鏑馬に対して、地上で矢を射ることに由来しており、平安時代に宮中で行われていた「射礼(じゃらい)の儀」が始まりと伝えられています。

■賀茂競馬(かもくらべうま) 
 ●5月5日 午前10時〜上賀茂神社

 堀河天皇の寛治7年(1093)に始まりました。乗尻(のりじり)・騎手は左右に分れ、馬場で競馬をします。競馬発祥の地とされる上賀茂神社ならではの行事です。
■御蔭祭(みかげまつり)
 ●5月12日
 
 御蔭祭は、上高野にある御蔭神社から荒御魂(あらみたま)を迎える神事です。行列は御蔭神社から摂社の赤の宮神社へ立ち寄り、下鴨中通を行列して下鴨神社に到着、「切芝(きりしば神事)」がおこなわれます。これは「東遊」と呼ばれ、雅楽に併せて舞人が踊り荒御魂をもてなす優雅な神事です。あまり知られていませんが葵祭の前儀として毎年行われています。
 
路頭の儀
●5月15日 午前10時半〜京都御所出発
 路頭の儀(行列)は、勅使をはじめ検非遺使・内蔵使・山城使・御所車・風流傘・斎王代などが、平安貴族そのままの姿で列をつくり御所を出発します。行列は総勢500余名、馬36頭、牛4頭、牛車2台、輿1台の風雅な王朝行列が都大路を練り上げ、下鴨神社から上賀茂神社に向かいます。
 
勅使
 
風流傘
 
斎王代
 
 
 社頭の儀
 社頭の儀は、行列が上、下両社に到着した際、それぞれの社頭で行われる儀式で、勅使が御祭文を奏上し御幣物を奉納します。さらに平安調を偲ばせるみやびな雰囲気のなかで、神馬の引き回し、舞人による舞が奉納されます。
  
■行列コースと予定時刻 

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