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京都の歴史年表
 奈良時代 
781 天応元年   桓武天皇即位
784 延暦3年   奈良の平城京から長岡京に遷都
 平安時代
794 延暦13年   桓武天皇平安京遷都、平安遷都にともない東寺・西寺、平野神社が創建された。
797 延暦16年   坂上田村麻呂が征夷大将軍となり蝦夷を平定。
798 延暦17年   坂上田村麻呂が清水寺を創建した。
800 延暦19年   桓武天皇が神泉苑へ行幸。以後,天皇や廷臣の宴遊の場となる。
804 延暦23年   最澄と空海が唐に渡る。 清水寺
805 延暦24年   最澄が天台宗を伝え延暦寺建立。  
806 延暦25年   空海が真言宗を伝える。
810 弘仁1年   賀茂斎王が初めて置かれた。
824 天長1年   空海が神泉苑で祈雨法要を行う。このころから神泉苑で雨乞が頻繁に行われた。
828 天長8年   空海が九条坊門南・西洞院西に綜芸種智院を創建した。 神泉苑
856 斉衡3年   仙遊寺(後の泉涌寺)が創建された。
869 貞観1年   神泉苑に66本の鉾を立て,祇園社から神輿を送り疫病退散を祈願、祇園御霊会の始まり。
874 貞観16年   聖宝が笠取山に草庵を造る。(後の醍醐寺)
876 貞観18年   淳和太皇太后が嵯峨院を寺に改め,大覚寺と号した。
887 仁和3年   光孝天皇の遺志をついで宇多天皇が仁和寺を完成した。 大覚寺
901 延喜1年   菅原道真が太宰府に流される。  
905 延喜5年   最初の勅撰和歌集『古今和歌集』が完成。
935 承平5年   平将門の乱・藤原純友の乱
 このころに紀貫之が『土佐日記』を著した。
938 天慶1年   空也上人が市町で庶民に布教した。 仁和寺
947 天暦1年   多治比文子が北野天満宮を創建した。
951 天暦5年   醍醐寺の五重塔が完成(京都市内現存最古の木造建築物)。
970 天禄1年   祇園御霊会(祇園祭)が官祭として初めて行われた。
995 長徳1年   藤原道長が右大臣となる。
1001 長保3年   紫野に今宮神社が創建された。
 このころ,清少納言が『枕草子』を著した。
北野天満宮
1004 寛弘1年   皮聖行円が行願寺(革堂)を建立し念仏を唱え布教した。
1008 寛弘5年   紫式部日記に「源氏物語」の評判が記される。
1016 長和5年   道長が摂政となり摂関政治が始まる。
1052 永承7年   藤原頼通が宇治の別荘を寺院とし平等院を創建。翌年には鳳凰堂が造営された。
1077 承暦1年   白河(岡崎)に法勝寺が創建される。「六勝寺」の初め。 平等院
1086 応徳3年   白河上皇による院政がはじまる、鳥羽離宮を造営。
1156 保元1年   保元の乱、平清盛・源義朝の台頭。
1159 平治1年   平治の乱がおこり平清盛が源義朝を討ち平家が台頭。
1161 永暦2年   後白河法皇が法住寺殿を作り御所とした。
1164 長寛2年   法住寺に蓮華王院(三十三間堂)が建立された。 法住寺
1167 仁安2年   平清盛が太政大臣となる。
1177 治承1年   太郎焼亡で市街や大内裏の多くが焼ける。
1178 治承年  七条東洞院から出火した次郎焼亡が発生。
1180 治承4年   源頼朝が関東で挙兵。
1181  養和1年  養和の大飢饉、天災が続き餓死者が続出する。
1183 治承7年   木曽の源義仲が京都に入る。平家一門都落ち。 三十三間堂
1185 元歴2年   平氏が壇ノ浦で滅びる。
  鎌倉時代
1192 建久3年   頼朝、征夷大将軍となり鎌倉幕府を開く。
1202  建仁2年   栄西が建仁寺を創建する。
1206 建永1年   明恵が,荒廃していた度賀尾寺を再興し高山寺と号した。
1212 建暦2年  鴨長明が『方丈記』を完成させた。
1219 承久元年   源実朝に変わり北条政子が実権を握る。 建仁寺
1227 嘉禄3年   承久の乱、後鳥羽天皇が鎌倉幕府に対し兵を挙げるも敗れる。
1255 建長7年   九条道家の祈願により東福寺が創建された。
1272 文永9年   親鸞の娘覚信尼が、親鸞の遺骨を吉水に移して本願寺の基となる仏閣を建てた。。
1279 弘安2年   嵯峨清涼寺で融通大念仏が行われた(嵯峨大念仏狂言の始まり)。
1291 正応4年   亀山法皇が南禅寺を創建した。
1294 永仁2年   日蓮の高弟日像が入京。以後,法華宗(日蓮宗)が京都に広まった。 東福寺
1330 元徳1年   吉田兼好が『徒然草』を完成させた。
1331 元弘1年   元弘の変、後醍醐天皇が隠岐に流される。
1333 元弘3年   楠正成、新田義貞、足利尊氏らによって鎌倉幕府滅ぼされる。
1336 建武3年   南北朝の対立、後醍醐天皇は吉野に逃れる。
1337 建武4年   関山慧玄が妙心寺を創建した。 妙心寺
 室町時代
1338 暦応1年   足利尊氏が征夷大将軍になり三条坊門高倉の尊氏邸に室町幕府を開く。
1339 暦応2年   後醍醐天皇の冥福を祈るため,尊氏が嵯峨の亀山殿を禅寺とし天龍寺を創建。
1368 応安1年   足利義満が三代将軍になる。
1378 永和4年   足利義満が今出川室町に室町殿(花の御所)を造営した。
1385 至徳2年   足利義満が相国寺を創建した。 相国寺
1397 応永4年   足利義満の山荘を造営。この北山殿は義満夫人日野康子の没後、足利義持によって寺   院に改められ鹿苑寺(金閣寺)となる。
1450 宝徳2年   龍安寺建立。細川勝元が徳大寺の山荘を自領と交換、方丈庭園は相阿弥に造らせ た。
1467 応仁1年   細川勝元、山名宗全ら全国の大名が争う応仁の乱が起こる。
1477 文明9年   応仁の乱が収まり京都は荒廃し、戦国時代となる。 金閣寺
1478 文明10年   蓮如が信証院を堺から山科に移した(山科本願寺の創建)。
1482 文明14年   足利義政が東山に山荘造営を開始。義政の死後寺院に改められ慈照寺(銀閣寺)が創建さ  れた。
1555 天文24年   川中島の合戦、上杉謙信と武田信玄の戦い。
1560 永禄3年   桶狭間の戦い、織田信長が今川義元を滅ぼす。
1571 元亀2年   織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ち。 銀閣寺
1573 元亀3年   足利義昭が織田信長に追放され室町幕府滅亡。
 安土桃山時代
1576 天正4年  信長が安土城を築く。
1582 天正10年   本能寺の変。
1583 天正11年   秀吉が大阪城を建てる。
1587 天正15年   豊臣秀吉が北野神社境内で大茶会を催した(北野大茶湯)。
1592 天正20年   秀吉が朝鮮出兵。
1599 慶長4年   前年没した豊臣秀吉の墓が阿弥陀峰に作られ、豊国社が創建される。
1600 慶長5年   関ヶ原の戦い。 豊国神社
 江戸時代
1602 慶長7年  東本願寺が徳川家康の援助で造営される。
 徳川家康が二条城の造営を開始し,翌年3月に入城した。
1603 慶長8年  徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府を開く。
 出雲の阿国が北野で,男装をして「かぶき踊」を始めた。
1611 慶長16年  角倉了以が高瀬川の開削工事を始める。19年に完成、京と伏見が舟運で直結された。 高瀬川
1615 慶長20年  大阪夏の陣、豊臣氏滅びる。  
1624 寛永1年  八条宮智仁親王(後陽成天皇皇子)が桂に桂離宮を造営。
1640 寛永17年  武士・詩人である石川丈山が一乗寺に隠棲し詩仙堂を営んだ。
1644 正保1年  東寺の五重塔(国宝)が桂昌院(徳川綱吉の生母)の発願で再建された。
1659 万治2年  後水尾天皇が修学院離宮を造営した。 東寺
1661 寛文1年  明から渡来した隠元が、宇治の地に黄檗山万福寺を創建した。
1708 宝永5年  宝永の大火で京都中心部のほとんどが焼失、復興の際に御所周辺の公家町が拡大
 され寺町通東側などに新しい市街地が開かれた。  
1730 享保15年  西陣で火災(西陣焼け)、西陣機業が大打撃を受けた。。
1788 天明8年  天明の大火。約3万7千軒が焼け,市街地のほとんどが焼失した。 万福寺
1830 天保1年  大地震がおこり、洛中洛外で死者約700人を出した。
1853 嘉永6年  ペリーが浦賀に来航。
1860 安政7年  桜田門外の変。
1864 元治1年  蛤御門の変の戦闘で火災がおこり(どんどん焼け)、市街地の大部分が焼失した。
1866 慶応2年  坂本竜馬のなかだちで、京都二本松の薩摩藩邸 で 薩長同盟が締結される。
1867 慶応3年  15代将軍徳川慶喜が 二条城で大政奉還。 坂本龍馬・中岡慎太郎
 明治時代
1868 明治1年  五箇条の御誓文が発せられる。 鳥羽・伏見の戦で伏見の町が焼失する。
1869 明治2年  東京遷都。
1875 明治8年  新島襄が同志社英学校を開いた。
1877 明治10年  京都−神戸間に鉄道が開通、京都駅が開設された。
1883 明治16年  岩倉具視の進言により旧公家町が整理され、現京都御苑がほぼ完成した。 京都御苑
1889 明治22年  京都市が成立。
1890 明治23年  琵琶湖第一疏水完成、翌年には蹴上で日本初の水力発電始まる。
1895 明治28年  平安神宮が創建された。平安遷都千百年紀念祭の記念行事として時代行列が行われた。
 伏見−七条間に日本最初の市電開通。
1897 明治30年  京都帝国大学(現京都大学)が設立された。 平安神宮