大船鉾の始まりは、応仁の乱以前からといわれていますが。応仁の乱(1467年)では他の山鉾とともに焼失、その後再興と消失を繰り返し元治元年(1864年)の禁門の変により木部など多くを焼失、以後は休み鉾となります。 平成9年(1997年)には宵山の囃子が復活、平成18年(2006年)には飾り席も復活、焼失を免れたご神体人形(神功皇后)や舳を飾る大金幣、織物・刺繍の技術を使った大舵や水引・前懸・後懸等の懸装品を飾り付けて、平成26年に150年ぶりに巡行に参加しました。 大船鉾は、後祭の鬮取らずとして殿をつとめ、前祭の船鉾が出陣船鉾と称されるのに対し凱旋船鉾といわれています。