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京の名水めぐり | |||
京の名水マップ 伏見の名水マップ 京の名水一覧 | |||
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京都三名水 | |||
染井(そめい) | |||
![]() ![]() 梨木神社は、三条実萬(さねつむ)、実美(さねとみ)父子を祭神として明治18年に建立された新しい神社ですが、この地は九世紀後半に栄えた藤原良房の娘明子(清和天皇の御母染殿皇后)の里御所の跡で「染殿」といわれたところで、宮中の染所としてこの井戸の水が用いられていたようです。「染井」の西には御所三名水の「染殿井」の遺構があり、昔は同じ水脈の井戸だったのでしょうか。 |
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佐女牛井(さめがい) | |||
![]() しかし,第2次大戦時の堀川通の強制疎開とともに撤去され、元の井戸の附近には「佐女牛井之跡」の石標が立っています。四条堀川東の亀屋良長本店にある「醒ヶ井」は、平成3年に掘られたもので、「佐女牛井」とは水脈も違うものです。 |
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県井(あがたい) | |||
![]() 京都御所の西側に、京都御苑三名水のひとつ「縣井」(あがたのい)があります。昔は、この井戸のそばに縣宮(あがたのみや)と呼ばれる社があって、地方官吏として出世を願う人々が、井戸で身を清めて祈願してから宮中に参内したといわれています。 江戸時代まで五摂家のひとつ一條家の屋敷があったところで、井戸水は明治天皇の皇后となった一條美子のうぶ湯に用いられたと伝えられており、古くから名水とされてきました。また、昔から ![]() |
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御所三名水 | |||
県井(あがたい) 京の三名水に記載 | |||
祐井(さちのい) | |||
![]() ![]() 明治天皇が産湯に使ったといわれる敷地内の井戸は、祐宮二才の夏、干天で枯れたため、新たに掘られ「祐井」と名づけられたといいます。 |
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染殿井(そめどのい) | |||
![]() ![]() またこの地は、良房の娘・明子(清和天皇の生母)の御所であり、清和天皇は譲位後ここに移られて「清和院」と称されました。ここにある井戸の遺構が「染殿井」と呼ばれているのも、かつての染殿第にちなんだものでしょう。 |
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茶の湯都七名水 | |||
左女牛井(さめがい) 京の三名水に記載 |
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芹根水(せりねのみず) | |||
![]() ![]() この名水は茶道家・文人書家に愛用されていたが、大正時代の堀川改修により濁水が混入して使われなくなった。今は石碑のみが、旧安寧小学校の西にあります。 |
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滋野井(しげのい) | |||
![]() 滋野井は、明治時代に埋められてしまったそうですが、昭和55年に涸れかけていた古い井戸を掘りなおしたといいます。現在ここにある生麩の老舗・麩嘉では、麩作りに良質な井戸水を多量に必要とするそうで、ここの井戸は「滋野井」を更に40m掘り下げて地下60mの水脈より取水を行っています。 |
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六孫王誕生水(ろくそんのうたんじょうすい) | |||
![]() 境内には神龍池があり、その側に源満仲誕生のおり井戸の上に弁財天を勧請し、安産を祈願し産湯に使ったといわれる誕生水弁財天社があります。井戸は、古くから京都名水の一つとされていますが、初代の井戸は新幹線の高架橋の下になってしまい現在は2代目ですが、同じ水脈から汲み上げています。 |
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中川井(なかがわのい) | |||
![]() 「中川の井」は、かつて寺町二条の妙満寺にあった井戸で、京都七名水の一つといわれていました。寺町通には染井、下御霊香水など名水が多く、この中川井も同じ水脈と考えられます。 妙満寺は、天正11(1583)年,豊臣秀吉(1536〜98)の命により寺町二条に再建された寺で、昭和43(1968)年には、岩倉幡枝に移転、中川の井の石碑も移されました。 |
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音羽滝(おとわのたき) | |||
![]() 観光客が絶えることのない音羽の滝の奥には、不動明王や行叡居士が祀られており、参詣者が行列をつくって柄杓に清水を汲み、六根清浄、諸願成就を祈願しています。1000年以上にわたって涌き続けている名水はいまなお衰えることはありません。 |
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天の真名井(あめのまない) | |||
![]() 境内にある井戸「天之真名井(あめのまない)」は、古来皇室において皇子・皇女誕生の折には、この水が産湯に用いられたといいます。絵馬を掛け、「天之真名井」のご神水を飲んで手を合わせると、一つの願い事が叶うと伝えられ、一願成就の井戸として信仰されています。 |
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