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京の名水めぐり
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  三方を山に囲まれ、鴨川・桂川などの河川が流れる京都盆地の地下には、琵琶湖の水量に匹敵するほどの地下水が湛えられているといわれ、1000年に及ぶ都の文化は、このめぐまれた水資源に支えられてきたといっても過言ではありません。
先人達は、この水を「御神水」として崇め、めぐまれた水資源によって、酒造り・京菓子・豆腐・湯葉などの食文化を育んできました。また、茶道の発達に伴って京都の水は名水として珍重されてきました。
現在もこれらの名水・地下水脈は、京豆腐や酒造りには欠かせない資源になっています。しかし、名水の中にはその場所さえ定かでないものもありますが、今も昔と変わらずに涌き出ていて、飲むことの出来る名水もたくさん残っています。

 京都三名水                  
  染井(そめい)
 京都御所の東側、梨木神社境内にある「染井」は、京都三名水の中で千年以上も沸き続けている唯一の井戸で、毎日多くの人々が水を汲みに訪れます。
 梨木神社は、三条実萬(さねつむ)、実美(さねとみ)父子を祭神として明治18年に建立された新しい神社ですが、この地は九世紀後半に栄えた藤原良房の娘明子(清和天皇の御母染殿皇后)の里御所の跡で「染殿」といわれたところで、宮中の染所としてこの井戸の水が用いられていたようです。「染井」の西には御所三名水の「染殿井」の遺構があり、昔は同じ水脈の井戸だったのでしょうか。
  佐女牛井(さめがい)
 京の名水として平安時代より知られた佐女牛井は、源氏の六条堀川邸にあったといわれています。室町時代には、茶人・村田珠光がこのあたりに住み足利義政に献茶したといわれています。その後も武野紹鴎や千利休,織田有楽斎といった名だたる茶人に好まれ、天下一の名水と有名になりました。
 しかし,第2次大戦時の堀川通の強制疎開とともに撤去され、元の井戸の附近には「佐女牛井之跡」の石標が立っています。四条堀川東の亀屋良長本店にある「醒ヶ井」は、平成3年に掘られたもので、「佐女牛井」とは水脈も違うものです。
  県井(あがたい)
 
 京都御所の西側に、京都御苑三名水のひとつ「縣井」(あがたのい)があります。昔は、この井戸のそばに縣宮(あがたのみや)と呼ばれる社があって、地方官吏として出世を願う人々が、井戸で身を清めて祈願してから宮中に参内したといわれています。 
 
 江戸時代まで五摂家のひとつ一條家の屋敷があったところで、井戸水は明治天皇の皇后となった一條美子のうぶ湯に用いられたと伝えられており、古くから名水とされてきました。また、昔から井戸のまわりには山吹が咲き、それを詠んだ後鳥羽院などの歌にも詠まれています。現在は枯れています。
 御所三名水                     
  県井(あがたい)   京の三名水に記載
   祐井(さちのい)
 京都御所の北東に、京都御苑三大名水のひとつ、祐井(さちのい)があります。ここは、権大納言中山忠能の邸跡です。明治天皇の生誕の地でもあります。明治天皇は、孝明天皇の第二皇子で、祐宮(さちのみや)と命名されました。 
 明治天皇が産湯に使ったといわれる敷地内の井戸は、祐宮二才の夏、干天で枯れたため、新たに掘られ「祐井」と名づけられたといいます。
  染殿井(そめどのい)
 京都御所の東側、京都迎賓館の裏側に「染殿井」跡があります。この付近一帯は、平安時代前期に臣下として最初の摂政に任じられた藤原良房の邸「染殿第」があった場所といわれています。
 またこの地は、良房の娘・明子(清和天皇の生母)の御所であり、清和天皇は譲位後ここに移られて「清和院」と称されました。ここにある井戸の遺構が「染殿井」と呼ばれているのも、かつての染殿第にちなんだものでしょう。
  茶の湯都七名水

  
 左女牛井(さめがい)  京の三名水に記載
   芹根水(せりねのみず)
 安永年間の「都名所図会」によれば、「芹根水」は堀川通木津屋橋南にあり、書家鳥石葛辰が、清水に井筒を入れて傍らには芹根水の銘を石面に彫刻す・・・」と記されています。
 この名水は茶道家・文人書家に愛用されていたが、大正時代の堀川改修により濁水が混入して使われなくなった。今は石碑のみが、旧安寧小学校の西にあります。
   滋野井(しげのい)
 洛陽七名水の1つとして知られた滋野井は、京都府庁の近くにあります。この地は平安時代には公卿の滋野貞主の邸地があり、その後、ここには蹴鞠の名人藤原成道が住み、滋野井のほとりに鞠の神・精大明神の社が建ちましたが、いまは白峯神社に祀られているといいます。
 滋野井は、明治時代に埋められてしまったそうですが、昭和55年に涸れかけていた古い井戸を掘りなおしたといいます。現在ここにある生麩の老舗・麩嘉では、麩作りに良質な井戸水を多量に必要とするそうで、ここの井戸は「滋野井」を更に40m掘り下げて地下60mの水脈より取水を行っています。
   六孫王誕生水(ろくそんのうたんじょうすい)
  六孫王神社が鎮座するこの地は、源経基(つねもと)の邸宅「八条亭」の跡地。経基は清和天皇の第六皇子貞純(さだずみ)親王の子であり、天皇の孫であることから「六孫王」(ろくそんのう)と呼ばれたが、臣籍に下って源姓を賜ったといわれています。
 境内には神龍池があり、その側に源満仲誕生のおり井戸の上に弁財天を勧請し、安産を祈願し産湯に使ったといわれる誕生水弁財天社があります。井戸は、古くから京都名水の一つとされていますが、初代の井戸は新幹線の高架橋の下になってしまい現在は2代目ですが、同じ水脈から汲み上げています。
   中川井(なかがわのい)

 「中川の井」は、かつて寺町二条の妙満寺にあった井戸で、京都七名水の一つといわれていました。寺町通には染井、下御霊香水など名水が多く、この中川井も同じ水脈と考えられます。
 妙満寺は、天正11(1583)年,豊臣秀吉(1536〜98)の命により寺町二条に再建された寺で、昭和43(1968)年には、岩倉幡枝に移転、中川の井の石碑も移されました。
   音羽滝(おとわのたき)
  清水寺の寺号ともなった音羽の滝は、古来から「黄金水」「延命水」とよばれ、 ”清め”の水として尊ばれてきました。「洛中洛外図屏風」(上杉本)などに現在と同じ3本の筧や、滝に打たれる行者が描かれています。近世にはお茶の水として重用され、界隈に住む人はいまなお飲用水として使用しています。
 観光客が絶えることのない音羽の滝の奥には、不動明王や行叡居士が祀られており、参詣者が行列をつくって柄杓に清水を汲み、六根清浄、諸願成就を祈願しています。1000年以上にわたって涌き続けている名水はいまなお衰えることはありません。
   天の真名井(あめのまない)
 市比売神社は、平安京の左右両市場の守護神として、桓武天皇の勅命により延暦十四年(795年)に創建。その後、天正九年(1591年)に太閤豊臣秀吉によって、現在の地に移転された由緒ある神社です。祭神がすべて女神様であることから、女性の守り神とされ、女人厄除けの神社として有名です。
 境内にある井戸「天之真名井(あめのまない)」は、古来皇室において皇子・皇女誕生の折には、この水が産湯に用いられたといいます。絵馬を掛け、「天之真名井」のご神水を飲んで手を合わせると、一つの願い事が叶うと伝えられ、一願成就の井戸として信仰されています。