時代祭の行列 @・明治維新〜江戸時代 |
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維新勤王隊 |
維新勤王隊 明治維新の際、幕府の遺臣が東北地方で反抗した時、丹波の国北桑田郡山国村の有志が山国隊を組織して、官軍に参加した当時の行装を再現したものです。 |
幕末志士列 |
桂小五郎、西郷隆盛、坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作 |
桂 小五郎 萩藩士、西郷隆盛、大久保利通らとともに王政復古に尽力し、明治維新を作り上げた。後の木戸孝允。 西郷 吉之助(隆盛) 薩摩藩士、幕末には長州藩と幕府の間で活躍、江戸城の無血開城も果たした。後に西南戦争で敗れ自決した。 坂本 龍馬 土佐藩士、勝海舟の門弟として海兵の術をおさめ、薩長を結びつけ明治維新の礎を築いたが、慶応3年京都で暗殺された 。享年33歳。 中岡 慎太郎 土佐の人、龍馬とともに幕末に活躍したが京都で暗殺された。享年30歳。 高杉 晋作 長州藩士、吉田松陰に学び、長州藩の中枢として奔走したが、慶応3年享年29歳で病死。 |
七卿落(しちきょうおち) 文久3年(1863)年8月、討幕計画に失敗した尊攘派の公家7名が長州へ落ちのびた事件。蓑をかぶった7人の公家を、鎧姿の久坂玄瑞ら3人の武士が護衛している。 志士は、真木和泉(まき いずみ)、久坂玄瑞(くさか げんずい) 公卿は、三條実美(さんじょう さねとみ)、三條西季知(さんじょうにし すえとも)、東久世通禧(ひがしくぜ みちとみ)、壬生基修(みぶ もとおさ)、四条隆詞(しじょう たかうた)、錦小路頼徳(にしきこうじ よりのり)、澤宣嘉(さわ のぶよし)。 |
吉村 寅太郎(よしむら とらたろう) 土佐藩士、平野国臣らと尊皇攘夷をとなえて天誅組を組織、京で兵を挙げたが達せられず自刃。享年26歳。 頼 三樹三郎(らい みきさぶろう) 京都の人、頼山陽の子。憂国のこころざし深く、幕府に非を唱えたため安政の大獄で処刑された。享年35歳。 梅田 雲浜(うめだ うんびん) 小浜藩士、攘夷をとなえ尽力したが、安政5年に幕府に捕えられ翌年獄中で病死。享年44歳。 橋本 左内(はしもとさない) 福井藩士、一橋慶喜を将軍に立てようとして奔走したが、安政5年に斬刑に処せられた。享年26歳。 吉田 松陰(よしだしょういん) 長州藩士、萩の松下村塾で高杉晋作、伊藤博文らを教えたが幕府を批判したため安政の大獄で処刑。 近衛 忠熈(このえただひろ) 孝明天皇の左大臣。事変で官を辞して仏門へ入ったが、後に還俗して関白となった勤王派。 |
頼 三樹三郎、梅田雲浜、橋本左内、吉田松陰、近衛忠熈 |
姉小路 公知(あねがこうじ きんとも) 三條実美とともに勤王派として奔走したが、文久3年御所東北の猿ヶ辻で暗殺された。享年25歳。 三條 実萬(さんじょう さねつむ) 安政4年に内大臣。勤王派で、実美の父。公武の協和に勉めたが、安政5年に仏門へ入り、翌年死亡。 中山 忠能(なかやま ただやす) 明治天皇御実母の父君。勤王派で和宮の宮家別当。後に従一位に叙せられる。 平野 国臣(ひらの くにおみ) 福岡藩士、勤王の志を抱き国事に奔走したが、文久3年同志と生野に挙兵して敗れ処刑された。享年43歳。 |
姉小路 公知、三條 実萬、中山 忠能、平野 国臣 |
江戸時代 徳川城司上洛列 |
先頭の槍持、傘持、挾箱持(はさみばこもち)の「ヒーサー」の掛け声や動作は当時の面影を偲ばせてくれる。 |
城使、目附頭以上の者は騎馬。駕籠は幕末当時の形式をとったもの。 |
江戸時代 婦人列 |
和 宮(かずのみや) 仁孝天皇の第八皇女で、十四代将軍・徳川家茂の正室になる。江戸無血開城に隠れた功績がある。 蓮 月(れんげつ) 江戸末期の女流歌人で、若き日の姿。 中村内蔵助の妻(なかむらくらのすけのつま) 京都の豪商中村内蔵助の妻で、当時の婦人たちの華やかな衣装を再現している。 |
和宮、蓮月、中村内蔵助の妻、衣装の時代考証が行われている。 |
玉 瀾(ぎょくらん) 池大雅の妻で、女流画家として夫とともに南画を描き、和歌にも秀でた女性でした。 梶(かじ) 女流歌人で、元禄・宝永の頃に祗園に茶店を営んでいました。 吉野太夫(よしのたゆう) 江戸時代の島原(六条三筋町)の太夫で、書画や和歌などに優れていた。常照寺ゆかりの名妓。 出雲阿国(いずものおくに) 阿国歌舞伎の創始者。出雲大社の巫女をやっていた。 |
玉蘭、梶、吉野太夫、出雲阿国、華やかな女性の行列は人気がある。 |
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