京都観光チャンネル
 祇 園 祭 特 集
行事日程   山鉾巡行の見所   神幸祭・還幸祭の見所   鉾建て
祇園祭あれこれ  前祭宵山めぐり 後祭宵山めぐり  写真館・山鉾巡行   写真館・宵山
  祇園祭のはじまり

 桓武天皇によって794年に建都された平安京は、盆地特有の高温多湿の気候で、夏には伝染病などの疫病が発生する都でした。朝廷は疫病が流行るたびにその怨霊を鎮めるために御霊会を神泉苑を中心に行っていました。なかでも祇園の御霊会が最も効果があるとされ、970年(天禄元年)以降、祇園社の祭礼として恒例行事となりました。これが祇園祭の始まりとされています。
 中世になり民衆が力をつけはじめると、疫神を呼び集め退散させるさまざまな趣向を凝らした美しい作り物、贅を凝らした装飾品などが行列に加わり、見物する人びとの注目を集め都市祭礼として発展します。これが山鉾巡行の起源です。
 応仁の乱の前には、50基以上もの山鉾が巡行し、山や鉾を出す町々の間で、華やかな趣向や出し物を競い合うようになって「見る祭」に発展していきました。
 2014年からは、1955年(昭和30年)まで行われていたように、17日に前祭の巡行、24日に後祭の巡行が行われます。また、大船鉾が再建され150年ぶりに後祭巡行に参加しています。

 7月1日から31日までの一ヶ月に及ぶ祇園祭の行事は、各山鉾町が行う吉符入りや山鉾建てなどの行事と、八坂神社を中心に行われる神幸祭や還幸祭などに分けられます。  祇園祭行事日程
  《2018年の巡行順》 
     
 [前祭巡行] 7月17日
 長刀鉾→蟷螂山→霰天神山→油天神山→函谷鉾→孟宗山→
 綾傘鉾→白楽天山→鶏鉾→太子山→伯牙山→芦刈山→
 月鉾→山伏山→四条傘鉾→占出山→菊水鉾→保昌山→
 郭巨山→木賊山→放下鉾→岩戸山→船鉾

 [後祭行] 7月24日
 橋弁慶山→北観音山→黒主山→鯉山→鈴鹿山→南観音山→
 役行者山→浄妙山→八幡山→大船鉾 (鷹山 布袋山)

                                 巡行予定時間
  山鉾一覧(2018年巡行順)
 前祭 巡行 (7月17日)
長刀鉾  蟷螂山 霰天神山  油天神山  函谷鉾
孟宗山 綾傘鉾  白楽天山 鶏鉾 太子山
伯牙山   芦刈山 月鉾 山伏山 四条傘鉾
占出山 菊水鉾 保昌山 郭巨山  木賊山
放下鉾 岩戸山 船鉾  
 後祭 巡行(7月24日)
橋弁慶山 北観音山 黒主山 鯉山  鈴鹿山
南観音山 役行者山 淨妙山 八幡山 大船鉾
  山鉾配置図


山鉾は鉾、 曳山、 舁山、 傘鉾に分類されます。
 
・・・・鉾は疫神を集める依代で、車に乗せられて曳かれるようになりました。鉾頭は長刀、月など神聖なる  依代として、それぞれかたちが工夫されました。

舁山・・信仰の象徴である山形に依代である松を挿し、中国の故事や能楽などその時々の話題のものを主題にした趣向の人形を置き、舁いて巡行します。

曳山・・舁山に車をつけ、大型化させたもの。江戸時代半ばには屋形がつき、鉾により近くなりました。山の象徴である松は屋根の上まで立ち上がりました。

船鉾・・鉾全体が船の形をし、屋根の妻やけらばには太刀。船縁には盾や鎧が用いられるなど作り物としての特徴を残しています。先の祭のしんがりを行く船鉾、そして後の祭の殿を巡行した大船鉾(いまは巡行していません)がありました。

傘鉾・・傘の周りで囃子たてる古来の形式。

山鉾町
 以前は下京と呼ばれた町々で、現在は寺町通より西、大宮通より東の間、そして二条通より南、松原通よりも北の範囲の32町内で、その多くは四条室町付近に集まっています。