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  祇園祭あれこれ
祇園祭には古来からの風習や言い伝えが多くあります。「粽」「あばれ観音」などあまり知られていない雑学を紹介します。
 「籤取り式」

 「籤取り式」は、7月2日京都市役所で行われます。巡行の際、山鉾の先陣争いが絶えなかったため、応仁の乱によって33年の中断の後、巡行が再開した1500年(明応9年)に、籤で巡行順を決める制度が始まりました。江戸時代には京都所司代が列席し、下京の町会所である六角堂で行われていましたが、昭和28年からは、現在の京都市会議場が会場となり、京都市長が立ち会うようになりました。
 山鉾32基のうち、長刀鉾などあらかじめ順番が決まっている「籤取らず」の8基をのぞく、24基の巡行順をくじで決めます。"先祭"で巡行する23基の内、「籤取らず」は常に一番先頭の長刀鉾以下、函谷鉾、 放下鉾、 岩戸山、 船鉾の5基。次いで"後祭"の9基のうち、「籤取らず」は北観音山、橋弁慶山、南観音山の3基です。
 「祇園囃子」とは

 山鉾の中で、祇園囃子を演奏するのは7基の鉾と、3基の曳山。祇園囃子は、鉦、笛、太鼓という三種の楽器による 合奏で成り立っています。鉾には一般的に、鉦方(かねかた)8名、 笛方(ふえかた)8名、 太鼓方(たいこかた)2名に交代要員を加え、約40名の「囃子方」が乗り込みます。
 吉符入りの夜から、町会所二階でお囃子の稽古が始まります。これを「二階囃子」といいます。曲目は約30から40。譜面という形で残されていますが、少年たちは先ず鉦から稽古を始めます。耳で聴き取って習うのが基本です。どれも脈々と継承されてきた町内の財産です。
 「粽」のいわれ
 祇園祭に欠かせない厄除けの御守りである粽は、茅と笹でつくられていますが、「蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」のお札が添えられています。
 そのいわれは、「疫神を司る素戔嗚尊が、旅の途中、一夜の宿を請うた時、裕福な巨旦将来は拒否しましたが、その兄・蘇民将来は、貧しいながらも精一杯のもてなしをしました。その感謝のしるしとして、今後、蘇民将来の子孫を疫病から守る、と素戔嗚尊は約束しました。」この伝説から、「蘇民将来子孫也」の護符を持つものは、疫病を免れると信じられています。
 粽は、本来は厄除けの印として、家々に配られるもので、共に祭を支えてくれる方々へのお礼の意味もありました。近年、粽は広く一般の観光客にも授与されるようになりました。祭の記念品として、それぞれの山鉾がその云われにちなんだデザインを施しています。
 「屏風祭」
 
 宵山では、町会所だけでなく、各家においても飾り付けをし、祭礼空間を演出します。その演出は屏風を多用することから「屏風祭」と呼ばれています。夏座敷の設えに、綿の段通を敷き、屏風を飾り、祇園祭の花である檜扇を活けます。
 こうした演出により、普段の生活空間は"ハレの場"に変わります。屏風祭は江戸中期ごろに始まり、明治時代に盛んになったと言われます。日常は決して見ることのない町衆の住まい。その居住空間を垣間見ることのできる宵山の見所です。 旧家では自慢の品々を公開するとともに、客を招き、心づくしの料理などをふるまいます。
 「あばれ観音



 16日深夜、この南観音山では風変わりな儀式が行われます。 御神体の楊柳観音像に布を被せ紐でぐるぐるに巻きつけます。観音は蓮台に固定して威勢のよいかけ声と共に町内を練り歩き三往復してから山に移されます。これを「あばれ観音」と言います。
 明日の巡行が無事に行われるように先に暴れさせておくとか、北観音山のご神体が男性であるので、不祥事を起こさないように荒行を行っているとか諸説あります。
 「日和観音」



 巡行を明日に控えた16日、夜10時頃。各山鉾町の囃子方は、囃子を奏でながら四条通に設けられた御旅所へ詣でます。これは、明日の巡行の好天を祈る「日和神楽」と呼ばれる行事です。
 長刀鉾だけは、八坂神社で奉納します。
 「巡行コース」の変遷       
 山鉾巡行は、1955年(昭和30年)まで、先祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)に分かれて行われていました。7月17日の先祭は、四条通を東へ進み寺町通へ 。その後、寺町通を南下し、松原通へと進み、西に折れ、東洞院に至るコース。7月24日の後祭は、烏丸三条から三条通りを東へ 。そして、寺町通りを南へ下がり、四条通りを西へ向かうコースを巡行していました。
 1966年(昭和41年)以降、2回に分かれていた巡行は、7月17日に統合されていましたが、2014年からは先祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)に分かれて巡行します。先の祭は四条烏丸から東へ進み、河原町通りへ四条河原町を北上したのち、御池通りを通って、各山鉾町へ帰っていきます。後祭は烏丸御池から市役所前へ進み、河原町通を南に四条から西に向かい四条烏丸に帰っていきます。

 「焼 山(休山)」

 

 山や鉾は、戦乱や火災で焼失し復興を繰り返している。記録に残ってはいるが焼失と町内の様々な理由などによって、現在巡行に参加していない山鉾が二基あります。布袋山と鷹山です。 


左の大船鉾は蛤御門の変で焼失しましたが、2014年に再建され巡行に参加します。
    

鷹 山                                 布袋山
 「祇園祭山鉾館」
 
 昭和44年保存が困難な状況にあった山鉾を永久に保存するために建設されたのが、八坂神社の東側、円山公園にある祇園祭山鉾館。木賊山、芦刈山、伯牙山、郭巨山、油天神山、浄妙山、黒主山、孟宗山、岩戸山の10基の山の資材が保管されています。
 山建ての早朝には各山鉾町の関係者が取り出しに訪れる。各収蔵室に掲げられている扁額は京都の芸術家の揮毫。
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