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源氏物語ゆかりの地を巡る
   源氏物語とは    宇治十帖を巡る
物語ゆかりの地・洛中
■雲林院

 この辺りは、平安時代には広大な荒野で、淳和天皇(在位823)が、ここに広大な離宮紫野院を造られ、度々行幸され、狩猟や桜・紅葉を楽しまれたといいます。
 源氏物語で「雲林院」が登場するのは、賢木の巻です。源氏は、父帝の亡くなった後にも、藤壺の中宮への思いを絶ち難く、自分に逢ってくれない中宮に、思い知らさせるために参内せず雲林院にこもります。また、この巻で源氏と当代の帝の寵妃・朧月夜との密通が発覚します。帝の后との密通というモチーフを扱うにはうってつけの場所が、雲林院でもあるのです。

■京都市北区紫野雲林院町  ■市バス「大徳寺前」下車徒歩約3分
■慈受院

 源氏物語「薄雲御所」ゆかりの門跡尼院といわれています。四代将軍・足利義持の菩提を弔うため、その妻・日野栄子が創建したのが、広徳山慈受院門跡。寺宝の「大織冠絵巻」は、大英博物館所蔵の絵巻を凌ぐといわれています。

■上京区寺ノ内通堀川東入る
■市バス 堀川寺ノ内

■本覚寺

 ここは光源氏のモデルともいわれる嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の河原院塩竃(しおがま)の第のあったところで、この辺を本塩竃町といいます。物語の六条院はこの辺りではないかといわれています。
 浄土宗の寺で、開祖は團譽(だんよ)上人玉翁(ぎょくおう)和尚。

■京都市下京区富小路通五条下る
■市バス 東山五条下車 徒歩3分

■夕顔之墳
 
 民家の片隅に建てられた夕顔の石碑、この辺りが『源氏物語』に登場する「夕顔」の宿の想定地だといわれています。  夕顔は、頭の中将の通い人でしたが、本妻の威厳をおそれ、五条の辺りにひっそりと暮らしていました。その夕顔のもとに源氏の君が通うようになりますが、夕顔は物怪により急死してしまいます。
 この付近の町名は夕顔町と呼ばれており、物語の登場人物とはいえ、いまだに語り継がれています。  
 
■下京区夕顔町 ■市バス 烏丸松原下車 徒歩7分
■大極殿跡 大極殿は、平安京の大内裏朝堂院の正殿で国家儀礼や政治が行われる重要な建物でしたが、安元3年(1177年)の火災で焼けて以来、再建されませんでした。 
 上京区千本通丸太町の内野児童公園には「大極殿遺址」の大きな石碑が建っています。
 このあたりは平安京の中心だったので、近辺には遺跡が多くあります。大極殿跡の石碑から少し北の千本通下立売を東に10メートルほどいったところには内裏の回廊跡の石碑や、内裏の正面玄関・承明門跡の石碑があります。

■上京区千本通丸太町上る  ■市バス 千本丸太町下車すぐ
物語ゆかりの地・洛西
■嵐山・嵯峨野 
 
 この辺りは源氏物語の中で数多く出てくる所です。源氏が御堂を立てた場所や明石の君が上京して住んだ邸、そして、六条の御息所が伊勢に発たれる前に娘の斎宮と一緒に過ごされた野宮神社など、嵐山の風景とともに描かれています。源氏物語では、このあたりを「大堰」と呼んでいますが、現在でも嵐山の渡月橋の上流を「大堰川」と呼んでいます。平安時代には、この周辺は皇族や貴族の貴族の別荘が多く建てられ、川に船などを浮かべ、春の桜、秋の紅葉を楽しんだそうです。今でも、三船祭、もみじ祭では、平安王朝の舟遊びを見る事が出来ます。
■野宮神社
 野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王が伊勢神宮に奉仕する前に身を清められたところです。嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮には、クヌギの木の皮を剥かないまま使用する日本最古の鳥居の様式といわれる黒木鳥居とクロモジの木を用いた小柴垣に囲まれた聖地でした。その様子は源氏物語「賢木(さかき)の巻」に、娘の斎宮とともに野宮で過ごす六条の御息所に会いに、光源氏が訪れるシーンで美しく描写されています。

 「物はかなげなる小柴垣を大垣にて 板屋どもあたりあたり
いとかりそめなんめり。黒木の鳥居どもは さすがに神々しく見わたされて・・・」


  ■嵐電 嵐山下車 JR嵯峨嵐山下車10分 
■清涼寺

 嵯峨釈迦堂とも呼ばれ親しまれている清凉寺は、浄土宗の寺院。光源氏のモデルとされる源融(みなもと・とおる)の山荘「棲霞観」があったところで、源融の死後寺となりました。多宝塔の裏には、源融のお墓の宝篋印塔があります。
源氏物語では、「絵合」の巻の巻末に、「山里ののどかなるを占めて、御堂を造らせたまひ・・・」
と清涼寺が嵯峨の御堂のモデルになった場所といわれています。
■右京区嵯峨釈迦堂藤木町46
■嵐電 嵐山下車 JR嵯峨嵐山下車10分 市バス嵯峨釈迦堂前

■大覚寺
 
大覚寺は、平安初期から嵯峨天皇の離宮として造営された地を、嵯峨上皇崩御の後に皇女・正子内親王により大覚寺に改められました。源氏物語では、光源氏が紫の上亡き後の晩年をこの嵯峨院で出家生活を送られたといわれ、若菜巻や松風で嵯峨野の秋の美しさが取り上げられています。

「造らせたまふ御堂は、大覚寺の南にあたりて、滝殿の心ばへなど、
  劣らずおもしろき寺なり」(松風巻)

■大沢池
 
かつては平安貴族が舟遊びをしたという大沢の池は、嵯峨天皇の離宮・嵯峨院の庭池で中国の洞庭湖を模して作られたといわれ、現在でも龍頭鷁首を付けた屋形船を浮かべ観月の夕べが行われています。
大沢池の北に遺構が残る有名な名古曽滝(なこそのたき)の遺構は、藤原公任が「滝のおとはたえて久しくなりぬれどなこそながれて猶きこえけれ」(公任集)
と詠んだように、古くから枯れていたようです。

■右京区嵯峨大沢町4
■市バス・京都バス大覚寺下車徒歩約1分

■大原野
 
源氏物語「行幸」の巻に、「その師走に、大原野の行幸とて・・」と記されている大原野は、大原野神社の一帯です。この神社の歴史は古く、桓武天皇が都を奈良から長岡京に遷されたときに始まります。大原野での遊猟はひんぱんにおこなわれたらしく歴代天皇が大原野に行幸して鷹狩を行ってる記録が残っています。
「行幸」の巻での冷泉帝と光源氏の贈答歌「雪深き小塩山にたつ雉の古き跡をも今日は尋ねよ」「小塩山深雪積もれる松原に今日ばかりなる跡やなからむ」光源氏は
この行幸には行かなかったようですね。小塩山(をしほやま)は大原野の西にある山で 、淳和天皇陵もあり古くから親しまれていた景勝の地であったようです。

■西京区大原野南春日町1152
■阪急バス南春日町下車徒歩約8分
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